第2講 数学的基礎

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第1講 Hilbert空間 - うべの量子力学
 さて今回も数学の準備をする.なるべく物理学の議論の展開の自然な流れに適宜必要な数学の話を挿そうと思っていたが,そうするのが難しいものを解説する.

Cauchy-Schwarzの不等式

 前回のHilbert空間の例1は有限次元,例2,例3すなわちl^2L^2は無限次元であった.有限次元では任意の元のノルムや内積が収束するのは自明であるが,無限次元ではl^2は二乗総和可能,L^2は二乗可積分つまりどちらもノルムが収束することしか仮定しておらず,自分自身を除く内積が収束することを仮定していない.ノルムが収束しない元を含むならそもそもノルムが定義できておらずHilbert空間ではないのだが,仮に任意の元のノルムは収束するが任意の内積が収束しないとなるとそれもHilbert空間とはよべないだろう.しかしなんとノルムが収束するならば内積も収束するのだ.Hilbert空間\mathcal{H}の元stに対して
\|s\|\|t\|\geq|s\cdot t|
が成り立つ.これをCauchy-Schwarzの不等式*1という.これは有限次元でも無限次元でもいえて,量子力学で度々登場する.証明は非常に教育的なので最後の補足に乗せておく.

射線

 何かしらの空間の部分集合のうち,元の空間の構造を保つものを部分空間という.例えばベクトル空間の部分集合のうちヌルベクトルのない部分集合は加法単位元が存在しないし,和やスカラー倍が閉じていなければ部分空間とはいえない.わかりやすい例は3次元幾何ベクトルの空間に対し,ある平面上のベクトル全体からなる集合は部分空間になっており,2次元幾何ベクトルの空間になっている.複素ベクトル空間Vの部分空間のうち,ヌルベクトルでないVの元sに対して
\{as\mid a\in\mathbb{C}\}
sを通る射線といい,\mathbb{C}sと書く.射線は複素1次元ベクトル空間であるが複素数係数なので線というより面である.

ブラケット記法の導入

双対ベクトル空間

 ベクトル空間から係数体への写像汎関数という.例えばn次元複素行からなるベクトル空間V
v\in V\\
F[v]:=v\begin{pmatrix}w_1\\w_2\\\vdots\\w_n\end{pmatrix}
で定義されるF複素数へ写すため汎関数といえる.汎関数の引数の括弧は関数と区別するために[]が用いられることが多い.関数からなるベクトル空間なら収束する定積分なども汎関数といえる.汎関数のうち,あるベクトル空間Sの元st,係数体の元aに対して
F[as+t]=aF[s]+F[t]
が成り立つものを線形汎関数という.この線形汎関数全体のなす集合もまたベクトル空間となっており,Vの双対ベクトル空間といいV'と書かれることが多い.単に双対空間ということもある.また元のことを余ベクトル,共変ベクトル,コベクトルなどという.また係数体はもとのベクトル空間と同じものを考える.この双対ベクトル空間では,例えばベクトル空間Vの元vと双対ベクトル空間V'の元FGに対して
\{F+G\}[v]=F[v]+G[v]\\
\{aF\}[v]=aF[v]
と和とスカラー倍を定める.

Rieszの表現定理

 Hilbert空間\mathcal{H}を引数とする(連続)線形汎関数\alphaに対し
s,\ t\in\mathcal{H}\\
\alpha[s]=s\cdot t
となるようなtが一意に存在する.これをRieszの表現定理という.(連続)は気にしなくてよい.つまり線形汎関数とHilbert空間の元は一対一で対応するということだ.この連続線形汎関数からなる双対ベクトル空間を\mathcal{H}^\daggerと表すことにし,\mathcal{H}から対応する\mathcal{H}^\daggerへの写像
\mathcal{H}\ni s\mapsto s^\dagger\in\mathcal{H}^\dagger
と書く.つまり
t^\dagger[s]=s\cdot t
ということだ.\mathcal{H}^\daggerはこのブログだけの記号であるが,これもHilbert空間になっている.双対Hilbert空間とでもいおうか.\daggerダガーと読むが,Rieszの表現定理より全単射写像であり,共役線形性
\{as+t\}^\dagger=a^\ast s^\dagger+t^\dagger
が成り立つ.また
\|s\|_{\mathcal{H}}=\|s^\dagger\|_{\mathcal{H}^\dagger}
が成り立つとする.ノルムの添字はそれぞれのHilbert空間のノルムを区別するためのものであるが省略しても問題ない.\mathcal{H}^\daggerから対応する\mathcal{H}への写像
\mathcal{H}^\dagger\ni s\mapsto s^\dagger\in\mathcal{H}
と書く.これも全単射で共役線形性をもちノルムも変わらない.またこれらから対合性
s^{\dagger\dagger}=s
が成り立つ.

ブラケット記法

 Hilbert空間の元を\bra{\psi}のように\bra{}を使って表す.これをブラベクトル,あるいは単にブラという.恥ずかしがらずにブラとよんでほしい.ブラの中身(笑)がHilbert空間の元を表しているのではなくブラ自体Hilbert空間の元の記号であり,何らかの情報を\bra{n,\ m,\ l}のように書いたり,\bra{\mbox{生きている猫}}といった感じで書いてよい.また双対Hilbert空間の元を\ket{\psi}のように\ket{}を使って表す.これをケットベクトル,あるいは単にケットという.ブラとケットの積は内積に対応し
\braket{\psi}{\phi}=\bra{\psi}\cdot\bra{\phi}
と真ん中の棒を一本にして書く.これらの記法をブラケット記法といい,Diracが考えたものである.ケットは線形汎関数であるが[]を省略し右から作用すると考えるとよい.初学者向けの説明としてn次元複素行を考えるとブラは行でケットは列に対応するというものがある.またダガーは転置と複素共役の合成に対応すると考えることができる.しかしこれらの説明はn次元複素行のみの話であり,ブラケット記法とは関数のHilbert空間のようなベクトルでも統一的に扱えるというものである.
 注意していただきたいのは前回も述べたが普通,量子力学では内積に第二引数線形性を選び,Hilbert空間にケットベクトルを選ぶ.ブラケット記法であれば内積を使わないので第二引数線形性は問題にならず,ブラがHilbert空間かケットがHilbert空間かは数式上では違いがなくなるためこれもあまり問題にならない.しかし本によっては折衷記法というブラケット記法の見た目をした派生記法を使っているものがあり引数の線形性が問題になる.この講義を読み終えた後,http://www.sceng.kochi-tech.ac.jp/koban/quatuo/lib/exe/fetch.php?media=2012:kitano2.pdfを読むことをお勧めする.ちなみに井田量子はブラケット記法をそもそも用いず,谷村量子は折衷記法を用いている.

基底

 複素Hilbert空間を意識してブラケット記法を用い,特に複素数の係数体を考える.
 ベクトル空間Vがあって,その部分集合B=\{\bra{\chi_1},\ \ldots,\ \bra{\chi_n}\}とその係数体の元a_1,\ \ldots,\ a_nに対して
\displaystyle\sum_{i=1}^na_i\bra{\chi_i}=0\rightarrow a_1=\ldots=a_n=0
が成り立つときBは線形独立であるという.一次独立ということもあり,そうでないことを線形従属,一次従属という.定義より線形独立な集合にヌルベクトルが入ることはない.線形独立な部分集合B=\{\bra{\chi_1},\ \ldots,\ \bra{\chi_n}\}に対して,
\left\{{\displaystyle\sum_{i=1}^nc_i\bra{\chi_i}}\middle|c_1,\ \ldots,\ c_n\in\mathbb{C}\right\}
で表される集合をBが張るベクトル空間といい,部分空間になっている.Bが線形独立ならば,任意の元\bra{\chi_i}は,Bから\bra{\chi_i}を抜いた集合B\setminus\{\bra{\chi_i}\}が張る空間の外になる.Bの要素数1であるときBが張る空間はその元を通る射線になる.Bが張る空間がもとの空間Vであるなら,Bを基底という.このときBの元の数はVの次元と等しく,それより元が多い線形独立な部分集合はない.有限次元を暗に仮定したが無限次元についても後述する.取り急ぎ有限次元を考える.

双対基底

 ベクトル空間Vの基底B=\{\bra{\chi_1},\ \ldots,\ \bra{\chi_n}\}に対して
\braket{\chi_i}{\chi^j}=\delta_i^j=\begin{cases}1&(i=j)\\0&(i\neq j)\end{cases}
が成り立つ双対ベクトル空間V'の部分集合B'=\{\ket{\chi^1},\ \ldots,\ \ket{\chi^n}\}を双対基底という.\delta_i^jはKroneckerのデルタである.双対基底\ket{\chi^i}と基底の双対\ket{\chi_i}は添字の位置で区別することにする.Vの元\bra{\psi}
\bra{\psi}=\displaystyle\sum_k c_k\bra{\chi_k}
と展開できるなら,双対基底は
\braket{\psi}{\chi^j}=\displaystyle\sum_{k,\ j} c_k\braket{\chi_k}{\chi^j}=\displaystyle\sum_k c_k\delta_k^j=c_j
と,その番号の展開係数を抜き出す.よって
\bra{\psi}=\displaystyle\sum_k c_k\bra{\chi_k}=\displaystyle\sum_k \braket{\psi}{\chi^k}\bra{\chi_k}=\bra{\psi}\displaystyle\sum_k\ket{\chi^k}\bra{\chi_k}
が成り立つため
\displaystyle\sum_k \ket{\chi^k}\bra{\chi_k}=\hat{1}
であると考えることができる.これは完全性関係とよばれ,これも量子力学でたびたび登場する.後述するが\hat{1}は数ではなく恒等演算子というものである.また別の基底の双対基底を
\braket{\psi}{\omega^i}=\displaystyle\sum_k\braket{\psi}{\chi^k}\braket{\chi_k}{\omega^i}
としたものはフーリエ級数フーリエ変換に関係があるものである.

完全正規直交系

 双対基底の節の記号を使うが内積空間において\ket{\chi^i}=\ket{\chi_i}=\bra{\chi_i}^\daggerを満たすBを完全正規直交系という.頭文字をとってCONSと略す.特に有限次元の幾何ベクトルの空間では正規直交基底とよばれる.正規とは自分との内積またはノルムが1で,直交とは他との内積0という意味で,つまりこれはCONSであれば
\braket{\chi_i}{\chi_j}=\delta_{ij}
が成り立つ,すなわち基底の双対が双対基底であることを意味する.一般に内積空間の基底は定義を満たすなら斜めに交差するように,かつノルムが1でないようにとってもいいが,CONSを考えると双対基底を求めなくていいので計算が楽になる.完全とはそれが空間全体を張るという意味であり,部分空間を張る場合を含めて正規直交系といいONSと略す.ONSはそれが張る部分空間に対してはCONSといえる.
 Hilbert空間のブラ\bra{\psi}
\bra{\psi}=\displaystyle\sum_i c_i\bra{\chi_i}
とCONSで展開できるなら,その双対は
\ket{\psi}=\displaystyle\sum_j c_j^\ast\ket{\chi_j}
と展開できる.その積は
\braket{\psi}{\psi}=\displaystyle\sum_{i,\ j} c_ic_j^\ast\braket{\chi_i}{\chi_j}=\displaystyle\sum_{i,\ j} c_ic_j^\ast\delta_{ij}=\displaystyle\sum_{i}c_ic_i^\ast=\displaystyle\sum_{i}|c_i|^2
と展開係数の絶対値の二乗の総和となる.これは複素行の自身との内積をとる計算と同じであり,複素行のHilbert空間のCONSで最もわかりやすいのはi番目の成分が1でそれ以外0であるような,つまり
\bra{\chi_i}=\begin{pmatrix}0&\ldots&1&\ldots&0\end{pmatrix}
である.

線形演算子

 Hilbert空間\mathcal{H}から同じHilbert空間\mathcal{H}への写像\mathcal{H}上の写像といい,
\bra{\psi},\ \bra{\phi}\in\mathcal{H},\ a\in{\mathbb{C}}\\
A(a\bra{\psi}+\bra{\phi})=aA(\bra{\psi})+A(\bra{\phi})
を満たす\mathcal{H}上の写像\mathcal{H}上の線形演算子,あるいは単に演算子という.線形作用素作用素などということもある.\mathcal{H}上の演算子全体のなす集合を\mathrm{End}(\mathcal{H})と書き,ケット同様に()を省略し右から
A(\bra{\psi})=\bra{\psi}A
と作用させて書く.また演算子であることを強調するために\hat{A}とハットをつけることが多い.\mathcal{H}の任意のブラ\bra{\psi}に対し,\mathrm{End}(\mathcal{H})の元\hat{A}\hat{B}
\bra{\psi}\hat{A}=\bra{\psi}\hat{B}
を満たすならば
\hat{A}=\hat{B}
と書く.任意のブラでなければいけないことに留意されたい.ケットブラの順で並ぶ
\bra{\psi}\{\ket{\phi}\bra{\xi}\}=\braket{\psi}{\phi}\bra{\xi}
演算子といえる.また演算子ケットの順で並ぶ
\bra{\psi}\{\hat{A}\ket{\phi}\}=\{\bra{\psi}\hat{A}\}\ket{\phi}
はブラを複素数に写すと考えることができるため,ケットと考えることができる.つまり演算子の定義よりブラに演算子を作用した結果がブラであるように,ケットに演算子を作用した結果はケットになる.
 演算子の中でも
\bra{\psi}\hat{0}=0
を満たすものをヌル演算子,零演算子などという.右辺はスカラー0ではなくヌルベクトルで解釈するとよい.\mathcal{H}のブラ\bra{\psi}\mathrm{End}(\mathcal{H})の元\hat{A}\hat{B}複素数cに対して,演算子の和とスカラー倍を
\bra{\psi}\{\hat{A}+\hat{B}\}=\bra{\psi}\hat{A}+\bra{\psi}\hat{B}\\
\bra{\psi}\{c\hat{A}\}=\{\bra{\psi}\hat{A}\}c
と定めれば,ヌル演算子を加法単位元として,\mathrm{End}(\mathcal{H})はベクトル空間の構造をもっているといえる.また演算子の中でも
\bra{\psi}\hat{1}=\bra{\psi}
を満たすものを恒等演算子という.\mathrm{End}(\mathcal{H})はベクトル空間の構造以外に,\mathcal{H}のブラ\bra{\psi}\mathrm{End}(\mathcal{H})の元\hat{A}\hat{B}に対して,演算子同士の積
\bra{\psi}\{\hat{A}\hat{B}\}=\{\bra{\psi}\hat{A}\}\hat{B}
を定義できる.任意の演算子\hat{A}に対して
\hat{A}\hat{1}=\hat{1}\hat{A}=\hat{A}\\
\hat{A}\hat{0}=\hat{0}\hat{A}=\hat{0}
が成り立つ.またヌルベクトルに対しては
0\hat{A}=0
が成り立つ.ある演算子\hat{A}があって
\hat{A}\hat{B}=\hat{B}\hat{A}=\hat{1}
となるような演算子\hat{B}が存在するとき,\hat{A}を可逆演算子といい,\hat{B}を逆演算子といい\hat{A}{}^{-1}と書く.これはあまり注意しなくていいが
\hat{A}\hat{B}=\hat{1}\\
\hat{B}\hat{A}=\hat{1}
となるような\hat{B}をそれぞれ右逆演算子,左逆演算子といい,有限次元のときはそれらが一致し\hat{A}に対して可換であるが,無限次元のときはそうとは限らない.
 複素行において演算子は正方行列になり,ヌル演算子は成分が全て0の正方行列,恒等演算子単位行列,可逆演算子は可逆行列(正則行列),逆演算子逆行列になり,和,スカラー倍,積は行列のそれと同じものを考える.

固有値固有ベクトル

 Hilbert空間\mathcal{H}のブラ\bra{\psi}\mathrm{End}(\mathcal{H})の元\hat{A}を作用させてできたブラ\bra{\psi}\hat{A}は,\bra{\psi}とは一般的にノルムも向きも異なる.しかし演算子\hat{A}に対して
\bra{\psi}\hat{A}=\bra{\psi}\lambda=\lambda\bra{\psi}
複素数\lambda倍になるようなヌルベクトルでない\bra{\psi}が存在することがある.\lambda\hat{A}固有値といい,このようなブラを\hat{A}\lambdaに属する固有ベクトルもしくは特にHilbert空間の文脈で固有ブラという.固有値全体のなす集合をスペクトルといい\mathrm{Spec}(\hat{A})と書く.また固有値\lambdaに属する固有ブラの集合はヌルベクトルを含めるとHilbert空間の部分空間を張り,\lambdaの固有空間といいF_\lambdaと書く.F_\lambdaの次元がkであるとき\lambdak重に縮重しているといいk\lambdaの縮重度という.縮退・縮退度,重複・重複度ということもある.これは(対角化可能な)行列では特性方程式固有値を求めたときに重解になるときのことであり,例えば二重解として得られた固有値に属する固有ベクトルはある平面上のベクトルになるというあれである.*2固有値の固有空間でもCONSをとることができ,固有空間が元のHilbert空間の部分空間であるため,それはHilbert空間のONSになる.

共役演算子

 Hilbert空間\mathcal{H}のブラ\bra{\psi}\bra{\phi}\mathrm{End}(\mathcal{H})の元\hat{A}に対し
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\phi}^\ast=\bra{\phi}\hat{B}\ket{\psi}
を満たす\hat{B}\hat{A}の共役演算子といい,\hat{A}{}^\daggerと書く.ブラとケットの双対の記号と被るが,複素行では同じく行列の転置と複素共役の合成を意味し,一般のHilbert空間において共役演算子の定義を言い換えると
\{\bra{\psi}\hat{A}\}{}^\dagger=\hat{A}{}^\dagger\ket{\psi}
であり,両辺のダガーは別物であるがあたかも行列の転置のように計算できるため,被らせたほうが便利である.ブラとケットの双対と演算子の共役をまとめてHermite共役ということがある.証明を省くが演算子を含むHermite共役は,
\hat{A}{}^{\dagger\dagger}=\hat{A}\\
\{a^\ast\hat{A}+\hat{B}\}{}^{\dagger}=a^\ast\hat{A}{}^{\dagger}+\hat{B}{}^{\dagger},\ a\in\mathbb{C}\\
\{\hat{A}\hat{B}\}{}^{\dagger}=\hat{B}{}^{\dagger}\hat{A}{}^{\dagger}\\
\{\bra{\psi}\hat{A}\}{}^\dagger=\hat{A}{}^\dagger\ket{\psi}\\
\{\hat{A}\ket{\psi}\}{}^\dagger=\bra{\psi}\hat{A}{}^\dagger
と計算できる.

ユニタリ演算子

 演算子の中でも
\hat{U}{}^\dagger=\hat{U}{^{-1}}
を満たすものをユニタリ演算子という.ユニタリとは内積不変という意味であり
\bra{\psi'}:=\bra{\psi}\hat{U},\ \bra{\phi'}:=\bra{\phi}\hat{U}\\
\braket{\psi'}{\phi'}=\bra{\psi}\hat{U}\hat{U}{}^\dagger\ket{\phi}=\braket{\psi}{\phi}
を満たす.
 ユニタリ演算子\hat{U}に対し,\mathrm{Spec}(\hat{U})の任意の元\lambdaに属するヌルベクトルでないF_\lambdaのブラ\bra{\psi}を考えると
\bra{\psi}\hat{U}=\lambda\bra{\psi}
が成り立つ.右から\hat{U}{}^\dagger\ket{\psi}=\lambda^\ast\ket{\psi}を作用させると
\bra{\psi}\hat{U}\hat{U}{}^\dagger\ket{\psi}=|\lambda|^2\braket{\psi}{\psi}
であるが,左辺は
\bra{\psi}\hat{U}\hat{U}{}^\dagger\ket{\psi}=\braket{\psi}{\psi}
であるため
|\lambda|=1
つまりユニタリ演算子固有値複素平面単位円上に値をとる
\mathrm{Spec}(\hat{U})\subset\{e^{i\theta}|\theta\in\mathbb{R}\}
であることがわかる.
 実行列では直交行列に対応する.

Hermite演算子

 演算子の中でも
\hat{A}{}^\dagger=\hat{A}
を満たすものをHermite演算子といい,Hilbert空間\mathcal{H}上のHermite演算子全体からなる集合を\mathrm{Herm}(\mathcal{H})と書くことにする.Hilbert空間の文字が議論に必要なくて宣言してないときは()の部分を省略する.ちなみにHermite共役をとると-1倍になるものを反Hermite演算子といいHermite演算子の純虚数倍で得られる.
 Hermite演算子\hat{A}に対し,\mathrm{Spec}(\hat{A})の任意の元\lambdaに属するヌルベクトルでないF_\lambdaのブラ\bra{\psi}を考えると
\bra{\psi}\hat{A}=\lambda\bra{\psi}
が成り立つ.右から\ket{\psi}を作用させると
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\psi}=\lambda\braket{\psi}{\psi}
であり,両辺の複素共役をとると
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\psi}=\lambda^\ast\braket{\psi}{\psi}
であるため
\lambda^\ast=\lambda
つまりHermite演算子固有値は実数である
\mathrm{Spec}(\hat{A})\subset\mathbb{R}
であることがわかる.また\mathrm{Spec}(\hat{A})\lambdaでない元\kappaに属するヌルベクトルでないF_\kappaのケット\ket{\phi}を作用させると
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\phi}=\lambda\braket{\psi}{\phi}\\
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\phi}=\kappa\braket{\psi}{\phi}
であるため
\braket{\psi}{\phi}=0
つまり異なる固有空間は直交する
\lambda\neq\kappa\rightarrow F_\lambda\perp F_\kappa
であることがわかる.内積空間の2つの部分空間が直交するというのはそれぞれ任意の元を選んで内積をとっても0になるという意味である.
 証明はしないがHilbert空間\mathcal{H}上のHermite演算子の線形独立な固有ベクトルの集合には\mathcal{H}を張る集合が存在する.よってHilbert空間の任意の元はHermite演算子の固有ブラの和で一意に表すことができ,Hermite演算子の固有ブラでCONSを作ることができる.Hermite演算子全体からなる集合はヌル演算子がHermite演算子であることとHermite共役の性質より,実数係数のベクトル空間の構造をもつことがわかる.
 実行列では対称行列に対応し,反Hermite演算子は交代行列に対応する.
 ここで紹介した演算子はHermite演算子であり量子力学で扱うものは厳密には自己共役演算子であるが,そんな違いなど物理学徒にとっては二次の微小量である()

射影演算子

 Hermite演算子の中でも
\hat{P}{}^2=\hat{P}
を満たすものを射影演算子という.射影演算子を作用することを「作用する」の代わりに「射影する」などという.これがなぜ射影なのかというと射影されるブラ\bra{\psi}と射影したブラ\bra{\psi}\hat{P}とその差\bra{\psi}-\bra{\psi}\hat{P}が,射影されるブラを「斜辺」とする「直角三角形」を作るからである.つまり射影したブラと差は直交しており
\left\{\bra{\psi}-\bra{\psi}\hat{P}\right\}\hat{P}{}^\dagger\ket{\psi}=\bra{\psi}\left\{\hat{P}-\hat{P}{}^2\right\}\ket{\psi}=0
と簡単に証明される.また像つまり作用した結果の集合はHilbert空間の部分空間になっており,\hat{P}の像をVとしてHilbert空間の任意の元\bra{\psi}
\bra{\alpha}\in V,\ \bra{\beta}\in V^\perp\mid V\perp V^\perp\\\bra{\psi}=\bra{\alpha}+\bra{\beta}
と一意に分解できるが
\bra{\psi}\hat{P}=\bra{\alpha}
となる.\mathcal{H}上のヌル演算子でない射影演算子\hat{P}\hat{Q}があって,それぞれの像VWが直交するとする.このとき演算子の積を考えると
\bra{\psi}\hat{P}\hat{Q}=\{\bra{\psi}\hat{P}\}\hat{Q}=0
であるため
\hat{P}\hat{Q}=\hat{0}
が成り立つ.Hermite演算子であるため,両辺共役をとれば
\hat{Q}\hat{P}=\hat{0}
も成り立つことがわかる.射影演算子の積がヌル演算子になるとき射影演算子が互いに直交するといい,\hat{P}\perp\hat{Q}と書く.また同値関係
V\perp W\iff\hat{P}\perp\hat{Q}
が成り立つ.
 射影演算子\hat{P}に対し,\mathrm{Spec}(\hat{P})の任意の元\lambdaに属するヌルベクトルでないF_\lambdaのブラ\bra{\psi}を考えると
0=\bra{\psi}\{\hat{P}{}^2-\hat{P}\}=\bra{\psi}\{\lambda^2-\lambda\}
であるため
\lambda=0,\ 1
である.固有値が全て0であるときヌル演算子で,全て1であるとき恒等演算子である.この2つはつまらないが射影演算子の重要な例は,互いに直交する集合
B:=\{\bra{\chi_i}\mid\bra{\chi_i}\neq0\land i\neq j\rightarrow\braket{\chi_i}{\chi_j}=0\}
が張る部分空間Vがあって
\hat{\Pi}:=\displaystyle\sum_k\frac{\ket{\chi_k}\bra{\chi_k}}{\braket{\chi_k}{\chi_k}}
と定められるものである.Bを正規化したならばVにおけるCONSとなって分母は1になる.像はVとなっており,\bra{\psi}\hat{\Pi}\bra{\psi}Vへの射影という.特に一項のとき,つまりBの要素数1のときは
\hat{\Pi}:=\frac{\ket{\chi}\bra{\chi}}{\braket{\chi}{\chi}}
となり,\bra{\psi}\hat{\Pi}\bra{\psi}\bra{\chi}方向の射影といい,像は\bra{\chi}を通る射線\mathbb{C}\bra{\chi}である.
 \mathcal{H}の任意のブラ\bra{\psi}は,Hermite演算子\hat{A}に対して
\mathrm{Spec}(\hat{A})=\{\lambda_i\},\ \bra{\chi_i}\in F_{\lambda_i}\\
\bra{\psi}=\displaystyle\sum_k\bra{\chi_k}
と一意に分解できる.これに\hat{A}を作用させると
\bra{\psi}\hat{A}=\displaystyle\sum_k\lambda_k\bra{\chi_k}
となる.F_{\lambda_i}への射影演算子\hat{P}_iとするとHermite演算子の固有空間は互いに直交するため
\bra{\psi}\hat{P}_i=\bra{\chi_i}
となる.よって
\bra{\psi}\displaystyle\sum_k\lambda_k\hat{P}_k=\displaystyle\sum_k\lambda_k\bra{\chi_k}=\bra{\psi}\hat{A}
であり,演算子部分はブラに依存しないため
\hat{A}=\displaystyle\sum_k\lambda_k\hat{P}_k
といえる.Hermite演算子の固有空間はそれぞれ直交しているため射影演算子もそれぞれ直交している.これと射影演算子の定義より
\hat{P}_i\hat{P}_j=\delta_{ij}\hat{P}_i
がいえる.また
\bra{\psi}\displaystyle\sum_k\hat{P}_k=\displaystyle\sum_k\bra{\chi_k}=\bra{\psi}
より
\displaystyle\sum_k\hat{P}_k=\hat{1}
が成り立つ.\hat{P}_iF_{\lambda_i}への射影演算子であるため,F_{\lambda_i}のCONSが\{\bra{\chi_{i,\ j}}\}ならば,先ほどの\hat{\Pi}の式より
\hat{P}_i:=\displaystyle\sum_j\ket{\chi_{i,\ j}}\bra{\chi_{i,\ j}}
と表すことができる.Hermite演算子を射影演算子で分解することをスペクトル分解といい,一意に分解される.Hermite演算子を引数とする関数f
f(\hat{A}):=\displaystyle\sum_kf(\lambda_k)\hat{P}_k
と定義する.右辺の複素数引数の関数fと記号が被るが,例えば
\hat{A}{}^2=\displaystyle\sum_{i,\ j}\lambda_i\lambda_j\hat{P}_i\hat{P}_j=\displaystyle\sum_i\lambda_i^2\hat{P}_i
となるため問題なく,被らせたほうが便利である.よくでるHermite演算子引数の関数は
\exp(\hat{A}):=\displaystyle\sum_k\exp(\lambda_k)\hat{P}_k\\
\exp(i\hat{A}):=\displaystyle\sum_k\exp(i\lambda_k)\hat{P}_k
であり,上はHermite演算子,下はユニタリ演算子になっている.ちなみに
p_i(a_j):=\begin{cases}1&i=j;\\0&i\neq j,\end{cases}
という関数を考えると
p_i(\hat{A}):=\displaystyle\sum_kp_i(\lambda_k)\hat{P}_k=\hat{P}_i
となる.p_iの例は
p_k(x):=\frac{\displaystyle\prod_{i\neq k}(x-\lambda_i)}{\displaystyle\prod_{j\neq k}(\lambda_k-\lambda_j)}
であり,スペクトル分解に用いる射影演算子は固有空間のCONSを用いた方法の他にHermite演算子多項式で表すことができることがわかる.詳しい証明*3は避けるが,任意の関数fgに対し
\hat{A}\hat{B}=\hat{B}\hat{A}\rightarrow f(\hat{A})g(\hat{B})=g(\hat{B})f(\hat{A})
が成り立つ.

非負定値演算子

 Hermite演算子の定義を言い換えると任意のブラ\bra{\psi}に対して
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\psi}\in\mathbb{R}\rightarrow\hat{A}\in\mathrm{Herm}
が成り立つ.この中でも
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\psi}>0\\
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\psi}<0\\
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\psi}\geq0\\
\bra{\psi}\hat{A}\ket{\psi}\leq0
を満たすものをそれぞれ正定値演算子,負定値演算子,非負定値演算子(半正定値演算子),非正定値演算子(半負定値演算子)といい,それぞれ\hat{A}>0\hat{A}<0\hat{A}\geq0\hat{A}\leq0と書く.量子力学で使うのは非負定値演算子\hat{A}\geq0である.
 固有値はそれぞれの名前の値をとる.例えば非負定値演算子\hat{A}の任意の固有値\lambdaに属する固有ブラ\bra{\chi}に対し
\bra{\chi}\hat{A}\ket{\chi}=\lambda\|\bra{\chi}\|^2\geq0
が成り立つため,非負定値演算子固有値は非負になる.

Gram-Schmidtの正規直交化法

 n次元内積空間において基底\{\bra{\chi_1},\ \ldots,\ \bra{\chi_n}\}をCONSに取り換えることを考える.直交化は
\bra{\chi'_1}=\bra{\chi_1}\\
\bra{\chi'_i}=\bra{\chi_i}\left\{\hat{1}-\displaystyle\sum_{j=1}^{i-1}\frac{\ket{\chi'_j}\bra{\chi'_j}}{\braket{\chi'_j}{\chi'_j}}\right\},\ (2\leq i\leq n)
というアルゴリズムでなされ,正規化は
\bra{\chi''_i}=\frac{\bra{\chi'_i}}{\|\bra{\chi'_i}\|}
でなされる.直交化の仕組みは,直交化したい基底から,それまでに直交化した基底が張る部分空間への射影を引くことによって,その部分空間に垂直な成分だけ抜き出すというものである.正規化は単純にノルムで割っている.

基底の取り換え

後日追加予定

成分表示

後日追加予定

トレース

後日追加予定

無限次元について

 無限次元で注意するべきことを述べる.数学的に詳しい説明をある程度避けた.

基底

 無限次元ベクトル空間になると基底の元の数は無限になる.基底とはベクトル空間を張る,線形独立な部分集合であったが,まず線形独立を無限集合でもいえるように拡張することを考える.線形独立とは基底の線形結合が0ならば結合係数がすべて0であるということであったが,全ての基底を線形結合することを考えてしまうと無限次元では無限和になってしまうため,任意の有限部分集合が線形独立であるような無限部分集合を考えることにする.そもそも線形結合とは有限個のベクトルに対して定義されるものである.よって「ベクトル空間を張る」というのもベクトル空間の任意の元は基底の適当な有限部分集合の線形結合で表されなければならない.線形代数というか代数学は基本的に無限回の演算は考えないようにする特徴があると思われる.まとめると,基底を有限次元ベクトル空間にも無限次元ベクトル空間にも定義できるようにするためには

  1. ベクトル空間の部分集合である.
  2. 任意の有限部分集合が線形独立である.
  3. ベクトル空間の任意の元は,適当な有限部分集合の線形結合で表すことができる.つまりベクトル空間を張る.

と定義すればよい.

双対基底

 双対基底は有限次元ベクトル空間にのみ定義されるもので,上記で定義した双対ベクトル空間の部分集合B'は無限次元では双対ベクトル空間を張らないため基底になっていない.上記で定義されるものは正しくは双対集合といい有限次元のときのみ基底になっており双対基底といえる.

完全正規直交系

 これも無限次元になると基底ではなくなる.しかし無限和を許すとベクトル空間の任意の元を表すことができ,その意味で基底である.

連続基底

後日追加予定

補足

Cauchy-Schwarzの不等式の証明

\|\bra{\psi}\|\|\bra{\phi}\|\geq|\braket{\psi}{\phi}|\\
\braket{\psi}{\psi}\braket{\phi}{\phi}\geq|\braket{\psi}{\phi}|^2
\braket{\phi}{\phi}で割りたいため\braket{\phi}{\phi}=0\braket{\phi}{\phi}\neq0に分ける.
\braket{\phi}{\phi}=0のときは前回の正定値性辺りの説明より\bra{\phi}がヌルベクトルで右辺も0となり0=0の等号の場合である.
\braket{\phi}{\phi}\neq0のときは\bra{\psi}\bra{\psi}\bra{\phi}方向の射影の差
\bra{\chi}:=\bra{\psi}-\bra{\psi}\frac{\ket{\phi}\bra{\phi}}{\braket{\phi}{\phi}}
を考え
\braket{\chi}{\chi}=\left\{\bra{\psi}-\bra{\psi}\frac{\ket{\phi}\bra{\phi}}{\braket{\phi}{\phi}}\right\}\left\{\ket{\psi}-\frac{\ket{\phi}\bra{\phi}}{\braket{\phi}{\phi}}\ket{\psi}\right\}\\
=\braket{\psi}{\psi}-2\bra{\psi}\frac{\ket{\phi}\bra{\phi}}{\braket{\phi}{\phi}}\ket{\psi}+\bra{\psi}\left(\frac{\ket{\phi}\bra{\phi}}{\braket{\phi}{\phi}}\right)^2\ket{\psi}\\
=\braket{\psi}{\psi}-2\bra{\psi}\frac{\ket{\phi}\bra{\phi}}{\braket{\phi}{\phi}}\ket{\psi}+\bra{\psi}\frac{\ket{\phi}\bra{\phi}}{\braket{\phi}{\phi}}\ket{\psi}\\
=\braket{\psi}{\psi}-\frac{\left|\braket{\psi}{\phi}\right|^2}{\braket{\phi}{\phi}}\geq0
となり,式変形して
\braket{\psi}{\psi}\braket{\phi}{\phi}\geq|\braket{\psi}{\phi}|^2
が得られる.
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井田量子こと
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堀田量子こと
入門 現代の量子力学 量子情報・量子測定を中心として (KS物理専門書) | 堀田 昌寛 |本 | 通販 | Amazon

*1:コーヒー・シュガーナッツの不等式ではない

*2:ここでいう縮重度は幾何学的重複度というもので,特性方程式の解の重なる数は代数的重複度といい,対角化不可能な行列ではそれらは一致しない
参考: 固有空間の求め方、代数的・幾何学的重複度とは:部分空間となることの証明 | 趣味の大学数学

*3:井田量子:p17-18

第1講 Hilbert空間

まえがきのようなもの

 最近というか今年,現代的な量子力学の教科書が増えた.と聞いて堀田先生の教科書(通称:堀田量子)を思い浮かべる方がほとんどだろう.ミーハーなわたくしはこのブームに便乗してブログ形式で自分なりに量子力学を自分も含め初学者でもわかるようにまとめようと思ったわけだが,参考にするのは井田量子と谷村量子である.この二冊も今年の本であるが,何故か堀田量子の購入の機会を逃していてずっと買えないでいる.以後続くブログは井田量子と谷村量子を参考に量子力学を導入し,それらの本に書かれてない水素原子をゴールにしたいと思う.
 さてこれより量子力学を解説していくわけだが,まず量子力学とは何か.物理学者なら「ミクロな系を記述する学問」と答え,数学者なら「Hilbert空間上のユニタリ演算子を調べる学問」と答えるのが普通だろうか.前者がわからないのは単に読者の語彙力不足であるが,後者は講をある程度の数だけ読み終えると理解できるはずである.

Hilbert空間のまえに

 Hilbert空間を導入するにあたってざっくりと量子状態について説明する.なんとなく読み進めればよい.古典力学では例えば質点のある時刻の状態,例えば位置と運動量のセット(\mathbf{x},\ \mathbf{p})を何らかの測定をして知るのに1回だけそれぞれ測定すればその測定値から(\mathbf{x}_0,\ \mathbf{p}_0)という状態であると定めることができる.そのため古典力学においては状態とは物理量そのものであり状態とはなにか問題になることはない.しかし量子力学では系の全く同じコピーをたくさん用意し,それぞれ全く同じように物理量Aを測定してもコピーごとに異なった測定値が得られる.よって量子力学では物理量の1回の測定値から状態を定めることができない.そこでたくさんのコピーの測定値から測定値aが出現する確率分布P(a)を得る.量子力学における状態,量子状態とは物理量の測定値の確率分布を与えるものとして定める.確率分布を与える方法はいくつかあるがここでは「演算子形式」というものを採用する.演算子形式において量子状態はHilbert空間を用いて表現する.本講義ではHilbert空間を説明することを主とする.

Hilbert空間

 まず「空間」とは何か.我々が認知している空間のことではない.空間とは数学の用語であり,簡単に言えばルール(公理という)をもつ集合のことである.Hilbert空間はベクトル空間にさらにルールを加えたものである.ベクトル空間の定義は

1 加法の結合律 s+\{t+u\}=\{s+t\}+u
2 加法の可換律 s+t=t+s
3 加法単位元の存在 \exists0\in S\mid s+0=s
4 加法逆元の存在 \exists-s\in S\mid s+\{-s\}=0
5 加法の閉性 s+t\in S
6 加法に対する乗法の分配律 a\{s+t\}=as+at
7 数の加法に対する乗法の分配律 \{a+b\}s=as+bs
8 数の乗法と乗法の両立条件 a\{bs\}=\{ab\}s
9 乗法単位元の存在 \exists1\in\mathbb{R}\mid1s=s
10 乗法逆元の存在 \exists c^{-1}\in \mathbb{R}\mid c^{-1}cs=s
11 乗法の閉性 as\in S

の11の公理(公理の集まりを公理系という)をもつ集合Sとされる.ただしs,\ t,\ uSの任意の元,a,\ bは実数\mathbb{R}の任意の元,cは0でない実数\mathbb{R}の任意の元とする.言葉で説明しよう.
1.加法はどこから計算しても同じ
2.加法は交換しても同じ
3.足しても同じ元になる元が存在する
4.足したら3.の元になる元が存在する
5.足しても同じ空間の元になる
6.数を分配して計算できる
7.元を分配して計算できる
8.数をどこから計算しても同じ
9.掛けても同じ元になる数が存在する
10.掛けたら9.の数になる数が存在する
11.掛けても同じ空間の元になる
※公理5と公理11のように演算しても同じ空間の元になることを,演算が閉じているという(例えば平面ベクトルを足したりスカラー倍しても3次元空間に飛び出ることはない)
 a,\ bなどを実数としたが有理数複素数など公理系を満たせるようであればなんでもいい.自然数は負数がなく公理4が考えられない.整数は公理10が考えられない.数学の言葉を使えば「体」という数の集合であればよい.体Fで考えるベクトル空間をF上のベクトル空間といいFを係数体という.物理学では実数上のベクトル空間(実ベクトル空間),複素数上のベクトル空間(複素ベクトル空間)くらいしか出てこず,量子力学では複素数を考えるため深入りする必要はない.今後単にベクトル空間といったら基本的に複素ベクトル空間のことを考えることにする.
 ベクトル空間の元のことをベクトルというのだが,公理系の構造だけもっていれば集合に関しては何も規定がないため,物理で考えている平面ベクトルや空間ベクトルなど矢印のベクトル(幾何ベクトルという)だけでなく数列や多項式や関数など多くの数学的対象でベクトル空間を考えることのできる抽象的なものである.Hilbert空間も同様である.
 さて本題のHilbert空間であるが早い話「完備性という必要な性質をもつ内積」というルールを入れたベクトル空間である.「完備」とは限らない内積をもつベクトル空間を計量ベクトル空間もしくは内積空間という.ここでいう「内積」はベクトル空間が幾何ベクトル以外でも考えることができたように,幾何ベクトルの内積の拡張となっている.内積の定義は

1 体終域 s\cdot t\in \mathbb{C}
2 共役対称性 s\cdot t=(t\cdot s)^\ast
3 第一引数線形性 \{as+t\}\cdot u=a\{s\cdot u\}+t\cdot u
4 正定値性 s\cdot s>0\mid s\neq0

の4つの公理を満たす2引数の写像である.係数体は複素数とした.実数であるときは終域は実数となり共役対称性はただの対称性つまり幾何ベクトルでよく知られている可換性となる.線形性は別に第二引数でもよく選択の自由がある.第一引数線形性を選んだ場合,第二引数は
s\cdot \{at+u\}=(\{at+u\}\cdot s)^\ast\\=(a\{t\cdot s\}+u\cdot s)^\ast\\=a^\ast\{s\cdot t\}+s\cdot u
と斉次でなくなる.これは共役線形性と呼ばれる.量子力学では普通,第二引数線形性を選ぶのだがわたくしの嗜好の関係上第一引数線形性を選んだ.
 正定値性は自身との内積が加法単位元(内積空間ではヌルベクトルという)でない限り正の実数になるという要請である.ヌルベクトルのときは加法単位元の性質と第一引数線形性より
0+s=s\\
0\cdot t+s\cdot t=s\cdot t\\
\therefore0\cdot t=0\\
0\cdot0=0
のため0になる.ヌルベクトルと数の0は同じ記号を使っているため注意して判断せよ.正定値性は正の実数になるという要請に加え0ならばヌルベクトルという意味も含んでいる.正定値性より自身との内積0以上の実数であるため平方根を考えることができる.これは幾何ベクトルにおける大きさに対応するもので
\|s\|:=\sqrt{s\cdot s}
と表しノルムという.正確にはノルムは内積のように公理によって定められ定義に内積は不要でもっと一般的なものであり,これは「内積の誘導するノルム」というノルムの一種である.しかし物理学においては普通ノルムがあれば内積があるので「内積の誘導するノルム」をノルムとして差し支えない.さらに差のノルム\|s-t\|を距離という.距離も内積やノルム同様,公理によって定められこれは「ノルムの誘導する距離」なのだがこれも単に距離ということにする.
こうして内積空間を定めたがこれに「完備性」をもたせればやっとHilbert空間になる.正直,量子力学を理解するのに完備性を理解する必要はあまりなく内積空間が理解できていれば十分である.一応完備性について説明しよう.ある数の集合Nからなる無限数列\{a_n\}があって
\displaystyle\lim_{n\rightarrow\infty}|a_n-a|=0
を満たすNの元aが存在するとき,aを収束先もしくは極限といい収束先をもつ数列を収束列という.加えて就職先をもたない人間をニートという.また
\displaystyle\lim_{n,\ m\rightarrow\infty}|a_n-a_m|=0
を満たす数列をCauchy列という.収束列ならばCauchy列であるがCauchy列は収束列とは限らない.ある数の集合Nの任意のCauchy列が収束列になるときNは完備であるという.Cauchy列であるが収束列とはならない例として有理数の集合で第n項の数は\sqrt{2}の小数第n位以降を切り捨てた数になる数列\{1,\ 1.4,\ 1.41,\ 1.414,\ 1.4142,\ \ldots\}を考えよう.数列の定義に無理数\sqrt{2}が必要であるが数列自体は有理数になっている.この数列はCauchy列であるが収束先が有理数にないので収束列になっていない.実数で考えれば収束して奇妙だがこういう場合も「発散する」という.有理数は完備でないことを例を一つ挙げて示したことになるが実数は完備であることが知られている.完備という概念は数列を距離空間という空間の列へ拡張することができるが,内積空間は距離空間の一種でありHilbert空間の導入ができればいいので内積空間の列で拡張することを考えよう.内積空間Sの無限列\{s_n\}が収束列であるとは
\displaystyle\lim_{n\rightarrow\infty}\|s_n-s\|=0
を満たす内積空間Sの元sが存在するということであり,Cauchy列であるとは
\displaystyle\lim_{n,\ m\rightarrow\infty}\|s_n-s_m\|=0
を満たすということである.数列では差の絶対値であったが距離になっている.内積空間Sの任意のCauchy列が収束列になるときつまり完備であるときSをHilbert空間という.
 ベクトル空間,内積空間まではベクトル和,スカラー倍,内積という演算を定義するための公理と考えることができ必要性が納得できるが完備性の必要性はどこから来るのだろうか.完備性とはざっくりいってしまうとベクトルの連続性を言っているに過ぎない.つまりHilbert空間とは微分をするのに怖くない内積空間を考えようというただそれだけのことである.物理学では嬉しい仮定は前提であり偏微分を入れ替えたり極限と積分を入れ替えたりやりたい放題できる.これを読んで完備性が理解できなくても読み飛ばして差し支えない.

Hilbert空間の例

例1. n次元複素行

 複素数成分の行
\mathbf{z}:=\begin{pmatrix}z_1&z_2&\ldots&z_n\end{pmatrix},\ \mathbf{w}:=\begin{pmatrix}w_1&w_2&\ldots&w_n\end{pmatrix}
に対して
z\cdot w:=zw^{t\ast}=\begin{pmatrix}z_1&z_2&\ldots&z_n\end{pmatrix}\begin{pmatrix}w_1^\ast\\w_2^\ast\\\vdots\\w_n^\ast\end{pmatrix}
内積を定めると複素行の集合はHilbert空間となる.

例2. 無限次元複素行

 1.を無限次元に拡張しノルムが収束する(二乗総和可能),集合はHilbert空間となる.このような空間をl^2空間という.

例3. 関数

 量子力学を理解するのに数学的に厳密な議論は必要ないので省くが,
\mathbb{R}\ni x\mapsto f(x)\in\mathbb{C}
に対して
\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}\mathrm{d}x|f(x)|^2=\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}\mathrm{d}xf(x)f(x)^\ast
が収束する(二乗可積分)ような関数の集合に対して
f\cdot g:=\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}\mathrm{d}xf(x)g(x)^\ast
内積を定めるとHilbert空間となる.このような空間をL^2空間という.l^2空間の連続版と考えることができることに留意されたい.xの集合や積分区間はもっと一般化できるのだが量子力学ではこれで充分である.一変数だけでなく多変数にも拡張可能である.量子力学では3次元まで考えるので3変数のL^2空間,L^2(\mathbb{R}^3)空間を考えることとなる.内積
f\cdot g:=\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}\mathrm{d}x\int_{-\infty}^{\infty}\mathrm{d}y\int_{-\infty}^{\infty}\mathrm{d}zf(x,\ y,\ z)g(x,\ y,\ z)^\ast
となる.
 量子力学の舞台であるHilbert空間を導入したがHilbert空間の説明は次回に続く.
次の記事
第2講 数学的基礎 - うべの量子力学
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